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【大阪地裁】森友学園で自殺した近畿財務局職員の妻の訴えを棄却
森友学園に関する財務省の決裁文書改ざんを巡り、自殺した近畿財務局の元職員、赤木俊夫さん(当時54)の妻、雅子さん(51)が、佐川宣寿元国税庁長官に損害賠償を求めた訴訟の判決が棄却と言い渡された。
国側が先立って賠償責任を認めて訴訟を終結させたなか、公務員個人の賠償責任を問えるかどうか、地裁の判断が注目ていた。
2020年3月に自殺の原因が、当時財務省理財局長だった佐川氏の指示のもとで改ざんを強いられたことだと提訴した。
2021年12月に国は、約1億円の支払いを受け入れる意向を示したが、佐川氏個人に対する訴訟のみが継続していた。
ずっと気になっていたが、大阪地裁は国家公務員個人の賠償責任は問わないという判決となった。まぁそうなるだろうとは思っていたが、ガッカリですね。
佐川氏の現状は
国税庁長官であれば、その後天下りをするのが通常のルートと思われますが、佐川元局長に関しては、天下り先が不明なままとなっています。
まぁ、どの企業も天下り先としては、受け入れたくなかったのでしょうね。
長い期間していた「いわき応援大使」も今では名前がなくなっていますね。
まぁこちらもいわき市からは断れないでしょうし、外れてくれてホッとしていることでしょう。
佐川宣寿氏の職歴がすごい
国税庁長官というポストに就いた、佐川宣寿氏の職歴はやっぱりすごいんです!見ていってみましょう!
1982年4月:大蔵省入省(主計局総務課)
1987年7月:高山税務署長
1988年7月:銀行局総務課課長補佐
1990年6月:日本貿易振興会コペンハーゲン事務所長
1993年7月:主計局調査課課長補佐
1994年7月:主計局主計官補佐(通産第一、二係主査)
1996年7月:銀行局中小金融課課長補佐
1997年6月:銀行局総務課課長補佐
1998年7月:近畿財務局理財部長
1999年7月:大臣官房文書課広報室長
2000年7月:大臣官房秘書課首席監察官兼大臣官房秘書課人事企画室長
2001年4月:財務大臣秘書官事務取扱
2003年9月:主計局調査課長
2004年7月:主計局主計官(外務、経済協力、経済産業係担当)
2005年7月:主税局税制第三課長
2006年7月:主税局税制第二課長
2008年7月:主税局総務課長
2013年6月:大阪国税局長
2014年7月:国税庁次長
2015年7月:関税局長
2016年6月:理財局長
2017年7月:国税庁長官
2018年3月:辞職
まとめ
佐川宣寿氏は、中学生の頃に、父親を亡くしつつも、3人の兄に学費を支払ってもらいながら東京大学に進学し、大蔵省に入省しています。
理財局長、国税庁長官と、まさにエリートコースを歩んでいました。
ところが、佐川宣寿氏は、森友問題によって、2018年3月に国税庁長官のポストを退職することになり、2022年現在も天下り先の発表もされていません。
森友問題によって、人の人生を狂わし自分の人生までも狂ってしまった人物。